2018年01月28日

「神の子とされた恵み」

ヨハネ1:12〜13 島津吉成師
ヨハネ1章12節のみ言葉は、イエスさまを信じ、救われたときに、神さまからのお約束として受け取られ、心に刻んでおられる方が多いのではないでしょうか。
1.イエス・キリストによる救いの御業
(1)救いの御業
@イエスさまは、人となって神さまを示してくださいました。
イエスさまは、自ら人となって、目に見えず、理解することもできない神さまを私たちに表わし、示してくださいました。
A十字架による救い
イエスさまは私たちの罪をすべてご自身の身に負い、私たち罪人に代わって十字架上で神さまの裁きを受け、私たちの罪をすべて処理してくださいました。神さまと私たちを隔てている罪を完全に取り除いてくださったのです。
B過越しの小羊
昔、イスラエルの人々は、エジプトで過越しの小羊をほふり、その血を鴨居に塗って神の裁きの死の使いに過ぎ越してもらいました。今日、私たちは、神の小羊、イエス・キリストの十字架の血によって罪を取り除いていただいたのです。
(2)受け入れ、信じる
 このイエスさまを受け入れ、信じるとき、父なる神さまは私たちを神の子としてくださるのです(コリント第二5:17、ヨハネ第一3:1)。
 そして、13節にあるように、神の子としていただけるのは、人間の側の条件などによるのではなく、神さまの一方的なご愛による神さまのみわざなのです。神さまは、誰でも、求める者を「神の子」としてくださるのです
2.神の子となる力(特権)
神さまは、イエスさまを信じる人々に神の力(特権)を与えてくださいます。
 @神さまを「アバ、父よ」と呼び、何でも打ち明けることができる特権です。神さまと交わりを持つことができる特権です。
 A神と共に働くことができる特権です。こうして私たちは、生きる目的を見出すことができるのです。
 B神は最後の勝利者ですから、神の子も、神と共に人生の最後の勝利者となる特権です。よみがえりのいのちに生きることができるのです。
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2018年01月21日

「悲しんでいる人」

マタイ5:4 島津吉成師
主イエスは、「悲しんでいる人たちは、さいわいである」と言われました。どうして、悲しんでいる人がさいわいなのでしょうか。
1.悲しむ者を慰めてくださる主イエス
@クリスチャンになると悲しむことはないのかというと、残念ながら、そのようなことはありません。この地上での歩みの中では、様々な悲しみの中を通ることは避けることができません。
A主イエスのことが預言されているといわれるイザヤ53章には、救い主は「悲しみの人で、病を知っていた」(3)と言われています。主イエスは、私たちが出会うすべての悲しみを知り、それがどんなに辛いことであるのかということも知っていてくださるのです。兄弟のラザロを病気で亡くしたとき、マリヤは主イエスの前で泣きました。そのとき、主イエスも一緒に泣いてくださいました(ヨハネ11:35)。
B「慰める」とは、「そばにいてくださる」という意味です。私たちは、主イエスの前でこそ、心の底からの悲しみを打ち明けることができるのです。泣くことができるのです。その私たちのそばで主イエスも一緒に泣いてくださるのです。ここに、真の慰めがあります。
Cさらに、天の御国において、「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる」(黙示録21:4)と約束されています。ここに、私たちの希望があります。悲しみは、悲しみだけで終わらず、主イエスの慰めと希望に生きる者へとその人を導くのです。
2.共に悲しむ者へ
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(ローマ12:15)と言われています。主イエスの慰めを経験した人は、泣く者と共に泣く、そのような人へと変えられます。主イエスの慰めを持ち運ぶ器へと造り変えていくのです。
3.人々の救いのために祈る者へ
パウロは、「わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある」(ローマ9:2)と言いました。彼は、自分の同胞であるユダヤ人がキリストに背を向けている現状に心を痛めていたのです。パウロの願いは、「彼らが救われる」ことでした(ローマ10:1)。私たちも、この悲しみを私たちの悲しみとさせていただいて、人々の救いのために祈る者とならせていただきましょう。主イエスは、「彼らは慰められる」と約束してくださっています。
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2018年01月14日

「こころの貧しい人」

マタイ5:1〜3 島津吉成師
 主イエスは山上の説教の冒頭で、8つの幸いな人の姿を語られました。ここに、主イエスの弟子となった人の姿が8つの面から語られています。
1.こころの貧しい人たちは、さいわいである
 原文では、「さいわいである」という言葉がいちばん最初に出てきます。そして、どんな人が幸いなのかというと、「こころの貧しい人たちは、さいわいである」と言われているのです。私たちは「こころが豊かな人が幸いだ」と思うのではないでしょうか。ところが、主イエスは「こころの貧しい人」が幸いだと言われるのです。私たちが考える幸いな人の姿とはずいぶん違っています。
 では、「こころの貧しい人」とは、どういう意味なのでしょうか。「貧しい」とは、「空っぽ」という意味です。コップに水がいっぱい入っていたら、それ以上水を入れることはできません。反対に、コップが空だったら、そこに水を入れることができます。このように、どんなに能力があり知識があったとしても、「私はまだまだ何も知りません。空っぽな人間です。神さま、どうぞ教えてください」と神さまの前に出る人こそが、「こころの貧しい人」です。神さまは、その人の心に神さまの恵みを一杯満たしてくださいます。だから、こころの貧しい人は幸いなのです。
2.天国は彼らのものである
 天国は、神さまが支配しておられるところという意味です。こころの貧しい人の心に、神さまが恵みを満たしてくださいます。主イエスご自身が、その人の心に宿ってくださいます。こうして、神さまがその人の心を治めてくださるのです。そのとき、その人の心に平安がやってきます。喜びがやってきます。どんなにお金があっても、本当の平安はお金では買えません。このお金では買えない平安を神さまは与えてくださるのです。天国はこの地上の生活の中で始まるのです。
3.へりくだる者に
 「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」(ヤコブ4:6)。宗教改革者ルターは、死の2日前、「私たちは乞食(こつじき)である。これはまことだ」と書き残したそうです。私たちは、神さまの恵みがなければ一日たりともやっていけない存在だ、ということです。そこから真剣に神さまの恵みを求める姿勢が生まれてきます。神さまはその人に恵みを注いでくださいます。主が共にいてくださるのです。そのとき、勇敢に主イエスに従う、主の弟子の歩みが始まるのです。
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2018年01月07日

「福音の喜びに生きる」

マタイ5:13〜16 島津吉成師
 昨年、私たちは新しい会堂が与えられました。この新しい会堂で、私たちは新しい年、心を新たにして信仰の歩みを始めていこうとしています。それは、どのような信仰の歩みとなっていくのでしょうか。今年、私たちはマタイ5〜7章に記されている山上の説教を通して主の語りかけを聞き、礼拝をささげ、私たちの信仰の歩みを進めていきたいと願っています。
1.教訓集?
マタイ5〜7章には、主イエスが語られた説教が記されています。ここを「山上の垂訓」と言っていましたが、現在は、「山上の説教」という言い方が多くなっています。「垂訓」というと、「上の者が下の者に向かって教えを垂れる。教訓を与える」という意味が強くなってしまう感じがするので、「山上の垂訓」という言い方をあまりしなくなったのではないかと思います。このことは、ここをどう読むかという点でも大事なポイントです。ここを守るべき教訓集として読むと、「とても実行できない」と思って挫折してしまうからです。ちなみに「山に登り」(5:1)と書かれているので、ここを「山上の説教」と言います。
2.福音の言葉
マタイ4章18節以下には、主イエスがペテロたちを弟子として召されたことが記されています。さらに、23節にはガリラヤの全地を巡り歩いて、「御国の福音を宣べ伝え」られたことが記されています。こうして福音を聞いた人々が主イエスのところに集まって来たので、その人たちと、そして弟子たちに語られたのが、この「山上の説教」です。ですから、ここで語られた主イエスの言葉は福音の言葉です。福音とは、「良い知らせ」という意味です。主イエスは罪ある者を救い、御国(天国・神の国)の民としてくださるのです。そして御国の民とされた者はこのように生きることができる、ということが語られているのが山上の説教なのです。
3.地の塩、世の光
主イエスは、「あなたがたは、地の塩である」、「あなたがたは、世の光である」と言われました。塩は腐敗を止め、味を付けます。光は、暗い世界を明るくします。主イエスの弟子には、このような使命が託されているのです。しかも、これから塩に、また光になりなさい、と言われているのではなく、すでに、そうされている、と言われています。主イエスは、主の弟子たちがこのように生きることができるようにしてくださっているのです。
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