2018年04月29日

「律法の成就」

マタイ5:17〜20 島津吉成師
 主イエスは、8つのさいわいな者、そして地の塩、世の光ということを通して、主イエスの弟子たち、すなわちキリスト者がどのような者とされているのか、ということを教えてくださいました。そして21節からは、キリスト者がどのように生きるのか、ということが教えられています。そのことをお話しくださる前に、主イエスは、主イエスの教えが旧約聖書で教えられていたこととどのような関係にあるのか、ということをここで語られました。
1.廃するためではなく、
律法というのは、十戒に代表される戒めのことです。預言者とは、神さまからの言葉を預かって人々に伝えた人のことです。ここで律法と預言者といわれているのは、旧約聖書全体という意味が込められています。「旧約聖書は戒めが書かれていて、新約聖書は主イエスの恵みが記されている。だから、旧約聖書は廃棄されたのだ、主イエスはそのために来てくださったのだ」と思っている方がおられるかもしれませんが、それは誤解です。
2.成就するためにきた
主イエスは、「廃棄するためではなく、成就するためにきた」と言われました。これは、どういう意味でしょうか。
@そもそも律法は、人間を縛るために与えられたものではなく、人間の幸せのために神さまが与えてくださったものでした。このように生きたら、本当に幸いな人生を送ることができるということが記されたものなのです。
Aところが、人間には、それを守る力がありませんでした。律法に従って生きることができず、逆に律法に反する生き方をするようにさえなってしまったのです。そのために、人間は罪ある者となってしまいました。
Bそのような人間を救うために、主イエスは来てくださいました。そして、律法のすべてを守り、全うしてくださったのです。
C主イエスを信じるとき、主イエスは律法を全うされたご自分の白い衣をその人に着せてくださるのです。こうして私たちは、罪を覆われた者として父なる神さまの前に出ることができ、天国に入れていただくことができるのです。
Dさらに、主イエスを信じる者にいのちを注いでくださり、喜びをもって律法が示す生き方をする者へと導いてくださいます。こうして、「わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めを歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる」(エゼキエル36:27)との約束を成就してくださるのです。
posted by グロリアスチャペル at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月22日

「世の光」

マタイ5:14〜16 島津吉成師
 主イエスは弟子たちに「あなたがたは、世の光である」と言われました。
1.世の光とは
世の光とは、どんな意味でしょうか。
@光は周りを明るくします。停電で真っ暗なときも、1本のろうそくを灯すだけでもかなり明るくなりますね。主イエスは弟子たちに、「あなたがたは、この暗い世の中を明るくしていく光なのだ」と言われたのです。
A光の源は神さま。私たちが光の源になることはできません。光の源は神さまであり、イエスさまです。ですからちょうど、月が太陽の光を受けて夜空に輝き、夜道を照らすように、私たちは神さまからの光を受けて、その光を届けるのです。
2.隠れることはできない
山の上にある町は、「あそこに町がある」ということがどこから見てもよくわかります。山の上にある町は隠れることができません。また、あかりをつけて、それを枡の下において、それを覆ってしまうような人はいません。燭台の上に置いてまわりを照らすようにします。
なぜ、主イエスはこのようなことを言われたのでしょうか。きっとそれは、私たちの中に、キリスト者であるということを隠しておきたいという心理が働くことを見抜いておられたからではないでしょうか。その私たちに主イエスは、「あなたがたはすでに世の光とされているのだ。その光を隠すな。人々は光を求めているのだ。その光を輝かせ」と言っておられるのです。
3.あなたがたの父をあがめるように
主イエスは、「人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」と言われました。「よいおこないを見て」といわれると、ますますしり込みしてしまいたくなるかもしれません。
@み言葉を信じましょう。主イエスは私たちを救ってくださり、闇から光へと変えてくださいました。そして、「あなたはわたしの恵みをいっぱい受けて、すでに輝いているのだ」と言ってくださっているのです。
A小さなことから始めてみよう。「ありがとう」の一言が、相手に明るい心を届けることができるかもしれません。
B父なる神さまを、そしてイエスさまを証ししましょう。私たちは、欠けがあり、失敗もします。でも、そんな私たちをイエスさまは用いてくださるのです。ですから、「素晴らしいのはイエスさま」と言って、イエスさまを証ししましょう。
posted by グロリアスチャペル at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月15日

「地の塩」

マタイ5:13 島津吉成師
 主イエスは、「こころの貧しい人たちは、さいわいである」から始まった8つの幸いな人について語られた後、その結論として、「あなたがたは、地の塩である」「世の光である」と言われました。
1.地の塩とは
地の塩とは、どんな意味でしょうか。
@塩には、腐敗を止める働きがあります。生ものなどを塩漬けにして腐敗を防ぎます。そのように、主の弟子には社会の腐敗を防ぐ使命があるのです。
A塩は味付けに用いられます。塩を少し入れると深みが増します。
「あなたがたのことばが、いつも親切で(恵みによるもので)、塩味の効いたものであるようにしなさい」(コロサイ4:6 新改訳2017)と言われています。塩で味付けされた言葉とは、ただ優しい言葉ということではなく、神さまがどんなに恵み深いお方でいてくださるのかということを伝える言葉です。
2.あなたがたは、地の塩である
「私にはとてもそんなことはできない」と思うでしょうか。主イエスはここで、「頑張って地の塩になりなさい」とは言われませんでした。「もうすでに、あなたがたは地の塩である」と言われたのです。ここで大事なことは、8つの幸いのうち、いちばん最初に言われていた「こころの貧しい人」ということだと思います。「心が貧しい」とは、心が空っぽということです。「私は心が空っぽな者です。あなたの恵みなくして何もできません」という人のことです。その人の心に、主イエスがお住みくださいます。そして、その人に力を与えてくださるのです。ですから、その人はすでに地の塩なのです。神さまの恵みを証しする存在なのです。
3.塩のききめがなくなったら
主イエスは、「もし塩のききめがなくなったら、何によってその味を取りもどせようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである」と言われました。とても厳しい言葉です。どうして塩のききめがなくなるのでしょうか。信仰から離れるからです。枝が幹から離れると枯れてしまうように、主イエスから離れてしまうと塩の働きをすることができなくなってしまうのです。
 主イエスはどのような人をも救ってくださり、地の塩としてくださいます。この恵みを感謝し、この恵みを伝えましょう。ここに、地の塩としていただいた者の使命があります。
posted by グロリアスチャペル at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月08日

「義のために迫害されてきた人」

マタイ5:10〜12 島津吉成師
 主イエスは、どんな人が幸いな人なのかということを教えてくださいましたが、いよいよ8番目、最後に言われている幸いな人とは、「義のために迫害されてきた人たち」だと言われます。
1.義のために迫害されてきた人
「義のために迫害されてきた人」とありますが、11節には、「わたしのために」とも言われています。主イエスの弟子となって、主イエスが与えてくださる使命を果たしていくとき、迫害を受け、悪口を言われることは避けられないと言われるのです。主イエスご自身も迫害を受け、十字架につけられました。ペテロやヤコブも殉教しました。キング牧師は暗殺されました。日本でも、戦時中、ある牧師たちは捕らえられ、教会は解散させられ、獄中で亡くなった牧師たちもいます。今でも、信仰を公にできない国々に住むクリスチャンたちがいます。
では、今の私たちはどうでしょうか。表立っての迫害ということはないかもしれません。でも、クリスチャンだと言うと仲間外れにされる。日曜日に教会に行くと言うと馬鹿にされる。洗礼を受けようとすると反対される、などということがあるかもしれません。「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」(Uテモテ3:12)と言われている通りです。
2.報いは大きい
主イエスは、迫害を受け、悪口を言われるときは、「喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい」と言われました。ここで言われている「報い」とは、報酬ということではありません。これだけのことをしたから、これだけのお返しがあるということではないのです。私たちにできることは、本当に小さなことです。それに対して、神さまはびっくりするくらい大きな報いを与えてくださると言われるのです。
@天からの報いがある。神さまは天からちゃんと見ていてくださり、報いてくださいます。私たちは、どうしても人からの報いを期待してしまいます。そこに捕らわれる心から解放されるのです。
A神が味方でいてくださるということを体験することができる(ローマ8:31)。患難や迫害の中でこそ、神さまが味方でいてくださるということを体験することができるのです。
Bやがてのとき、主は天にて、「よくやった。忠実なしもべよ」と言って、栄光の冠を授けてくださいます。
posted by グロリアスチャペル at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月01日

「キリストはよみがえられた」

コリント第一15:12〜22 島津吉成師
 主イエスはすべての人の罪の身代わりとなって十字架にかかり、墓に葬られましたが、3日目の朝、よみがえられました。今朝は、その主イエスの復活を記念する朝です。
1.死人の復活がないならば
コリント教会の中に、「死人の復活などはない」と言っている人たちがいました。彼らは、霊魂の不滅ということは信じるけれども、死んだ人間が復活するというのはありえない、と主張していたようです。
それに対して、パウロはこう反論します。もしそうだとしたら、キリストもよみがえらなかったことになってしまう。もしキリストがよみがえらなかったとしたら、キリストの復活を伝えている私たちの宣教の働きはむなしいものになってしまう。さらに、罪の赦しということはなくなり、人々は罪の中にずっといることになる。そして、すでに死んだ人たちは滅んでしまったということになる。「これはおかしくないか。よく考えてみてほしい」、とパウロは言いたいのだと思います。
2.キリストはよみがえられた
「しかし事実」と、パウロは言います。そうです、キリストは事実、よみがえられたのです。
(1)初穂として
 「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」(20)。初穂というのは、「その年の最初の収穫物」のことです。そして、初穂が実るということは、それに続いて豊かな収穫が約束されているということを表します。ここでは、キリストがその初穂に譬えられています。つまり、キリストが初穂としてよみがえられたということは、キリストに続いて、キリストを信じる私たちもまた、よみがえるのだ、ということを示しているのです。
(2)アダムとキリスト
 アダムは人類の代表選手でした。そのアダムが誘惑に負けてしまったため、罪の結果である死が全人類に及んでしまいました。しかし、今度は、キリストが全人類の代表としてサタンの誘惑に勝ち、罪と死を打ち破ってくださったのです。このキリストを信じるとき、その人の罪は赦され、永遠のいのちが与えられ、死者の中からのよみがえりにもあずかることができるのです。キリストは私たちにこの恵みを与えてくださるために、よみがえられたのです。
posted by グロリアスチャペル at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記