2018年09月30日

「ゆるしの恵み」

マタイ6:14〜15 島津吉成師
 主の祈りの中でも、ゆるしについての祈りがありましたが、イエスさまは、もう一度、念を押すように、ゆるしについて語られました。それほど、ゆるしということが大事なことなのだ、ということだと思います。
1.ゆるせない?
14節、15節のみ言葉を聞いて、どう思われたでしょうか。「ゆるせない、という思いが、私の中にはあるなあ」、「ゆるすということは難しいなあ」、「そうすると、私は神さまからゆるしていただくことはできないのかなあ」、そんなことを思われた方がおられるかもしれません。
「ゆるす」ということは、本当に難しいことだと思います。それは、自分が努力して、頑張って、出来るようになるということではないように思います。だからこそ、イエスさまは「ゆるし」ということを「主の祈り」の中に入れておられるのだと思います。私たちは、どんなときに祈るでしょうか。自分の力ではどうにもならないという問題に直面した時に、必死になって祈るのではないでしょうか。まさに「ゆるし」は、自分の力ではできないことです。ですからイエスさまは、祈るようにと私たちを導いてくださっているのです。
2.ゆるしの恵み
イエスさまの十字架のゆえに、父なる神さまは私たちの罪をゆるしてくださいました。「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」(Tヨハネ1:7)と言われているように、「すべての罪」からきよめてくださるのです。そのゆるしは、完全なゆるしです。そして、「わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起さない」(エレミヤ31:34)とさえ言ってくださるのです。
イエスさまは、1万タラントの借金をゆるしてもらったのに、百デナリ貸している人をゆるすことができなかった人の話をなさいました。神さまから、自分がどんなに多くの罪をゆるしてもらったのかを知るとき、その人は、人のことをゆるすことができるようになっていくはずだと、イエスさまは言われるのです。イエスさまは、私たちがゆるし合って生きることができるようにしてくださったのです。
3.教会は、ゆるしの共同体
教会は、ゆるしの共同体です。イエスさまは、私たちを、互いにゆるし合う恵みの中に生きることができるようにしてくださったのです(コロサイ3:13)。
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2018年09月23日

「悪しき者からお救いください」

マタイ6:9〜13 島津吉成師
 主の祈りの最後の祈りは、「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください」です。
1.試みに会わせないで
「試み」と訳されている言葉(ペイラスモス)は、試練とも誘惑とも訳すことができる言葉だそうです。試練は、私たちの信仰を鍛え、私たちを成長させ、成熟させる働きをします。これに対して、誘惑は私たちの欲望に働きかけて、私たちを神さまから引き離そうとするのです。
サタンはエバを誘惑してきました。まず、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」と言って、神さまは厳しいお方で、信仰生活は窮屈な生活だと思わせようとしました。さらに「それを食べると神のようになる」と言って、神さまから離れて、自由に生きる方がいいではないか、と誘ったのです。その実は、食欲をそそり、見た目も美しく、また食べると賢くなりそうでした。こうして、エバは誘惑に負けて、その実を食べてしまったのです。その結果、アダムとエバは、神さまから身を隠すようになりました。神さまとの交わりに亀裂が入ってしまったのです。
「会わせないで」とは、聖書の言語では、「引っ張っていく」という意味があります。ですから、「わたしたちを試みに会わせないで」とは、「誘惑に引っ張り込まれないように守ってください」という意味になります。
2.悪しき者からお救いください
サタンは、私たちを信仰から引き離そうとして働いています。しかし、イエスさまは、十字架と復活によって、そのサタンに勝利してくださいました。このイエスさまが共にいてくださるので、私たちも誘惑に勝っていくことができるのです。父なる神さまは、私たちを悪しき者から救ってくださいます。
そのために大事なことは、以下のことです。
@誘惑に近づかないようにしましょう。
A心を点検する習慣を身に付けましょう。思いと言葉と行動が、神さまに喜ばれない方向に行っていないか、点検しましょう。
B神さまの恵みを数えましょう。
C信仰に立ち続けましょう。失敗したら、すぐに悔い改めましょう。「神に従いなさい。そして悪魔に立ちむかいなさい」(ヤコブ4:7)。
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2018年09月16日

「感謝」

コロサイ3:15〜17 島津吉成師
 今朝の礼拝は、恵老感謝/賛美礼拝です。今年から、ここまで守り支えてくださった主の恵みを感謝するという意味で、「敬老」を「恵老」という言葉にしました。さて、コロサイ3章15〜17節には、「感謝」という言葉が3回出てきます。
1.感謝の心
15節の後半を、新改訳聖書は「感謝の心を持つ人になりなさい」と訳しています。イエスさまは、5つのパンと2匹の魚で5千人以上の人々を養ってくださいました。弟子たちは、5つのパンと2匹の魚を見て、「こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」(ヨハネ6:9)と言いました。しかし、イエスさまは、パンと魚を受け取り、それを感謝されたのです(6:11)。奇跡は、ここから始まりました。イエスさまがパンと魚を分け与えたとき、人々はお腹一杯食べることができたのです。私たちは、足りない方だけを数えがちです。そして不平を言うのです。しかしイエスさまは、今、与えられているものを手にして、感謝されたのです。私たちも、このような感謝の心を持ちたいものです。
2.キリスト言葉を豊かに宿らせ
では、どうしたら感謝の心を持つことができるのでしょうか。「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい」(16)といわれています。聖書のみ言葉を、心に蓄えましょう。み言葉によって養われ、育てられていくとき、感謝の心を持つ人となっていくことができるのです。
3.いっさい主イエスの名によってなし
「イエスの名によってなし」(17)とは、「イエスさまご自身によって」ということです。感謝に生きる生活は、私たちが頑張って行う生活ではありません。イエスさまが、力を与えてくださるのです。
私たちは、主の祈りの学びの中で、「御国を来たらせたまえ」との祈りは、「神さまの愛と平和の国が拡大していきますように」という意味だと学びました。私たちは、この地上に生かされている間、一人ひとりにこの使命が与えられているのです。また、神さまは人間を「神のかたち」に造ってくださいました。それは、神さまは私たちをロボットのように造られたのではなく、自由と愛の心を与えてくださったということです。ですから私たちは、神の国が拡大していくために何をしたらよいでしょうか、と神さまと相談しつつ、出来ることをさせていただきましょう。ここに、最後まで生きがいをもって感謝に生きる、素晴らしい人生がつくられていくのです。
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2018年09月09日

「負債をゆるしてください」

マタイ6:9〜12 島津吉成師
 主の祈りの後半部分は、私たちの生活に関する祈りです。そこでは、「日ごとの食物を与えてください」の祈りに続いて、「ゆるし」についての祈りが祈られています。
1.わたしたちの負債をもおゆるしください
@負債
ここでは、罪のことが「負債」と言われています。罪とは、神さまに対する借金のようなものだというのです。人間は神さまに背中を向け、自分勝手な生き方をして、神さまから託されたいのちを浪費し、さらに悪い言葉や行い、心の中の思いによって罪を重ね、その負債は返すことができない莫大な額に達してしまっているのです。
A十字架
この負債は大き過ぎて、人間の力では返済ができません。神さまは、そのような人間を憐れんで、私たちの負債をすべてゆるしてくださいました。イエスさまが、私たちの全部の負債を代わりに負ってくださり、ご自分のいのちという代価を払って、私たちの負債を支払ってくださったのです。それが十字架です。
B悔い改めとゆるし
 罪を悔い改め、イエスさまが私の負債のために十字架にかかってくださったということを信じるとき、神さまは私たちの罪をゆるしてくださいます。こうして信仰生活が始まるのですが、この地上にいる間、私たちは天使のようになるわけではありません。弱さがあります。ですから、失敗をしたり、間違いを犯してしまうことがあります。そこで、私たちは、日々「わたしたちの負債をおゆるしください」と祈る必要があるのです。
2.わたしたちに負債のある者をゆるしましたように
「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように」とは、どういう意味でしょうか。私たちがゆるさないと、神さまも私たちをゆるしてくださらない、ということでしょうか。私がゆるしましたから、私のこともゆるしてください、と神さまと取引するということでしょうか。
@私たちは、ここで、人をゆるすということが、どんなに難しいことかということを知るのです。Aイエスさまが、どんなに難しいことをしてくださったのかを知るのです。B自分がゆるされたということがどんなに大きな恵みなのかがわかります。そのとき、人をゆるす者へと変えられるのです。
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2018年09月02日

「日ごとの食物を」

マタイ6:9〜11 島津吉成師
 主の祈りは、前半の3つが神さまとの関係についての祈りで、後半の3つは人の生活に関する祈りです。今朝から、後半の人の生活に関する祈りの部分に入ります。その最初に祈られているのが、「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」という祈りです。
1.日ごとの食物を
神さまが関心を持っていてくださるのは、私たちの心の問題だけではありません。神さまは、私たちの体のことも、そして、生活のすべてのことについて関心を持っていてくださるのです。当時の人々は、貧しい人々が多かったと思います。ですから、きょう、食べるパンがある、ということは切実な問題でした。そこでイエスさまは、「日ごとの食物を、きょうもお与えください」という祈りを、教えてくださったのです。
宗教改革者ルターは、「日ごとの食物」とは、私たちの生活になくてはならないすべてのものが含まれていると言って、次のようなことをあげています。「食物と飲み物、着物とはきもの、家、お金、信仰深い夫婦、信仰深い子ども、良い政府、平和、良い友だち」。神さまは私たちが必要としているものをご存知です。ですから、その必要のために祈りましょう。
2.神さまが支えてくださっている
私たちは、自分で働いて、自分で稼いで、自分の生活を成り立たせていると思いがちです。学校でも、自分の力で頑張って、良い成績を取っていると思いがちです。でも、大事なことは、仕事を与えてくださるのも、頑張る力を与えてくださるのも、神さまです。仕事を与えてくださる神さまに、また、頑張る力を与えてくださる神さまに、感謝しましょう。
また、仕事がうまくいかないときもあります。頑張る力が湧いてこないときもあります。そのときこそ、祈りましょう。「主は倒れる者をみな支え、かがんでいる者をみな起こされます。すべての目はあなたを待ち望んでいます。あなたは、時にかなって、彼らに食物を与えられます」(詩篇145:14〜15 新改訳聖書)。倒れるときも、かがんでしまうときも、神さまご自身が共にいて支えてくださり、必要な力を与えてくださいます。
3.神の口から出る一つ一つの言で生きる
悪魔がイエスさまを誘惑して、「石がパンになるように命じてごらん」と言ってきたとき、イエスさまは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」と答えられました(マタイ4:4)。真の食物であるみ言葉を、日々いただきましょう。
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