2018年10月28日

「思いわずらうな」

マタイ6:25〜34 島津吉成師
私たちの生活の中で起きてくる問題について、まず「富」の問題が取り上げられ、続いて「思いわずらい」が取り上げられています。今朝は、32節までのみ言葉から学びます。
1.思いわずらうな
ここでは、食べ物、飲み物、命(寿命)、着物ということがあげられています。そして、これらのことで「思いわずらうな」とイエスさまは言われました。これは、それらのことに心を配り、必要なものを準備しなくてよい、ということではありません。箴言には、蟻は「夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食料を集める」、「そのやり方を見て、知恵を得よ」(6:6〜8新改訳)と言われています。きちんと備えておくことは大事なことです。ここでイエスさまが言っておられるのは、「心配して、心配して、病気になるほど心配する必要はない」ということです。では、どうしたら、思いわずらいから解き放たれることができるのでしょうか。
2.空の鳥、野の花を見よ
@目を外に向けなさい
 私たちが思いわずらうときは、目の前の問題が大きく見えて、そのことだけしか見えなくなってしまうことが多いのではないでしょうか。イエスさまは、その目を外に向けてみなさい。特に神さまが造られた自然の世界に目を向けてごらんなさい、と勧めているのです。そのとき、問題ばかり見ていたときには見えなかったものが見えてきたり、気づかなかったことに気づいたりということが起きてくるのです。
A養い、装ってくださる神さま
 神さまは、空の鳥を養い、野の花を装ってくださいます。もちろん、鳥が何もしないということではありません。鳥なりに、餌を求める努力はしているでしょう。また、野の花も根を張ったりして、花を咲かせるためにできるだけのことをしているでしょう。しかし、空の鳥を養い、野の花を美しく装ってくださっているのは神さまです。空の鳥を養い、野の花を装ってくださる神さまは、私たちに、それ以上よくしてくださらないわけがないではないか、とイエスさまは言われるのです。
3.信仰を大きくする
イエスさまは、「ああ、信仰の薄い者たちよ」と言われました。「薄い」とは「小さい」という意味です。神さまは大きなお方です。「その神さまを、もっと信頼したらよい」と、イエスさまは言われたのです。
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2018年10月21日

「光の中を歩む」

ヨハネ第一1:5~9 島津吉成師
1.神は光であって
「神は光であって、神には少しの暗いところもない」(5)。これは、神さま のどのような性質を表しているでしょうか。神さまが光であるというとき、 その光は、道を照らすともしび、いのち、きよさ、希望、幸いなどが意味さ れています。この5節では、特に「やみ」つまり「罪」と対比されて光とい うことが言われていますので、「罪」と正反対の「きよさ」を意味している ようです。神さまは、きよさそのものであって、私たち人間のように、やみ 、汚れが混じった部分など一つもないお方だということです。 2.光なる神さまと交わる
交わりができるということは、言葉が通じるからです。私たちが光なる神
さまと交わることがゆるされたのは、イエスさまの十字架の血によって罪が
ゆるされ、光の子、神さまの子どもにしていただいたからです。聖書のみ言
葉を通して神さまからの語りかけを聞き、そして、神さまにお祈りすること
ができる。こうして神さまとの交わりが成り立つのです。言葉が通じる間柄
にしていただいたのです。
3.やみの中を歩む
このような恵みの中に入れていただいたのに、弱さを持つ私たちは、うっ
かり失敗することがあります。イエスさまに喜ばれないことであるとわかり
ながらも、それをしてしまう。神さまのみこころに従うよりも、私の願い、
私の考えの方が大きくなってしまうことがあります。イエスさまを心にお迎
えしているのに、イエスさまを隅に押しやってしまうことがあります。この
ように、やみの中を歩いてしまう弱さを私たちは持ち合わせているのではな
いでしょうか。
4.十字架の恵み
でも、み言葉は宣言してくださいます。「御子イエスの血が、すべての罪 からわたしたちをきよめるのである」(7)。イエスさまの十字架の血が、私た ちのすべての罪をきよめてくださるのです。さらに、「もし、わたしたちが 自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆ るし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」(9)と約束してくださ っています。私たちの罪を、隠さず神さまの前に持ち出し、お詫びするとき 、真実でいてくださる神さまは、私たちのすべての罪をゆるしてくださるの です。こうして、神さまとの交わりを回復させてくださり、平安と喜びと希 望に生きることができるようにしてくださるのです。
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2018年10月14日

「天に宝を」

マタイ6:1924  島津吉成師

  マタイ619節から、山上の説教は新しい区分に入ります。私たちが日々の生活の中で直面する問題を取り上げ、その中でどう生きるべきかが教えられています。19節から24節には、富の問題が取り上げられています。今回は、後ろの方から読んでみたいと思います。

1.神と富

「神と富とに兼ね仕えることはできない」(24)と言われています。富それ自体は、決して悪いものではありません。一生懸命に働いて富を得ることは、素晴らしいことです。ここで、イエスさまが言っておられることは、「富に仕える」ということ、つまり富の奴隷となることを戒めておられるのです。自分の利益だけを求める生き方は、やがて破綻します。富は、神さまが私たちにゆだねてくださっているものです。神さまに仕えるという信仰のもとに、神さまからゆだねられているものを神さまに喜ばれるように用いるとき、ここに祝福された生き方がつくられていきます。

2.澄んだ目

 「澄んだ目」(22)とは、「一つのものを見る目」という意味です。これに対して「悪い目」(23)とは、「貪欲な目」という意味です。貪欲な目で物事を見ていると、その人の人生は暗くなります。では、澄んだ目で何を見るのでしょうか。私たちを愛していてくださり、いつも共にいてくださり、必要なものをすべて備えていてくださる神さまを見るのです。そのとき、その人の人生は明るくなります。富を正しく管理することもできるのです。

3.天に宝を

この地上で、どんなに富を蓄えたとしても、それは崩れやすいものです。ですから、「天に、宝をたくわえなさい」(20)と勧められています。これは、自分の生活のためにお金を用いてはいけない、ということを言っているのではありません。自分の体も、家族も、友人も、すべて神さまから預かっているものです。健やかな生活をしていくためにお金を用いることは正しいことです。また、世捨て人のような生活をしなさい、と言っているのでもありません。天とは、隠れた事を見ておられる父なる神さまがおられるところです。「天に宝」とは、その神さまに喜んでいただけるような生き方をしていこう、お金の使い方をしていこう、ということです。そのとき、天国銀行の預金が増えていくのです。やがてのとき、「よくやってくれたね。忠実なしもべよ」という声を聞くことができるでしょう。

 

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2018年10月07日

「暗い顔つきをするな」

マタイ6:16〜18 島津吉成師
 当時の社会では、施しと祈りと断食が大事なこととされていました。そこでイエスさまは、まず6章1節で、「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい」と言って、信仰生活の基本を教えられ、それに基づいて、施しと祈りについて、どうあるべきかを教えてくださいました。そして、それに続いて、断食について教えてくださっています。
1.人に見せようとして
断食は、祈りに集中するために、食事を抜いて祈るという、祈りの仕方です。当時、宗教的に熱心なパリサイ人は週に2度、断食をしていたようです(ルカ18:12)。ところが、本来は良いものであったはずの断食ですが、それを、自分がいかに信仰深いかを表す道具としてしまう人がいたのです。イエスさまは、そのような人たちのことを「彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである」と言っています。「私は顔がやつれるほど断食をして、祈っているのですよ」ということを人に見せて、「なんて信仰深い人なのでしょう」という称賛を得ようとするのです。
これは、断食に限らず、私たちにもやってくる誘惑ではないでしょうか。自分の熱心さを人に見せて、人から褒められたいという誘惑です。
2.隠れたことを見ておられる神
そこでイエスさまは、「あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは断食していることが人に知られないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう」と言われました。
イエスさまは、「いかにも断食をしています、というような顔をするな」と言われるのです。断食は、人に見せるためではなく、神さまに集中するためだからです。そして、これは断食に限らず、私たちの信仰生活にとって大事なことです。私たちは人の前に生きるのではなく、神の前に生きるのです。そして、隠れた所でなされた隠れた事を、父なる神さまはちゃんと見ていてくださるのです。この信仰に立つとき、人の評価に左右されない正しい生き方が生まれてくるのです。
3.暗い顔つきをするな
イエスさまは、断食をするときには「陰気な(暗い)顔つきをするな」と言われました。もちろん、苦しい時には暗い顔になるでしょう。しかし、復活の主がおられるのです。その主を信じるとき、私たちは暗い顔から明るい顔へと変えられていくのです。
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