2019年02月24日

「恵みの約束」

創世記15:7〜21 島津吉成師
1.契約
神さまはアブラハムに、「多くの子孫を与えてくださる」と約束してくださいました。アブラハムは、その神さまの約束を信じました。そのアブラハムが、さらに神さまに、「その神さまの約束が確かなものであることをどのようにして知ることができるでしょうか」と尋ねます。すると神さまは、牛とやぎと羊と鳩を持ってくることをアブラハムに命じます。そして、鳥以外の動物を二つに裂いて、向かい合わせにして置くようにさせました。これは、この当時の、契約をするときのやり方でした。契約を結ぶ両者が、裂かれた動物の間を歩くのです。それは、契約を破ったら、この動物のように裂かれてもかまいません、という意思をこのような形で示すのです。神さまはアブラハムに、そのようにして約束を確かなものにしようと言われたのです。
2.暗やみ
さて、この契約を実行する前に、アブラハムは大きな恐ろしい暗やみに襲われました。彼はその中で、神さまから「彼の子孫が他の国で400年の間、苦しむこと、しかし、その後、彼らは多くの財産を携えて出て来ること」を聞かされました。
信仰生活にも、このような暗やみの時があります。病気になったり、人間関係で辛いことが起きたり等、様々なことが考えられます。この暗やみの時をどう過ごすかということが、信仰生活にとってとても大事なことなのです。このときに、信仰から離れてはなりません。暗やみのときには、宝物が隠されていると思いましょう。そこを通してでなければ得ることのできない財産をいただいて、私たちもそこから出て来るようになるのです。
3.恵みの契約(約束)
さて、夜になって、「煙の立つかまどと、炎の出るたいまつが、裂いたものの間を通り過ぎ」ました。これは、神さまご自身が、裂かれた動物の間を通り過ぎてくださった、ということです。契約は、契約を結ぶ両者が裂かれた動物の間を歩くことによって成立するのですが、ここでは神さまだけが歩かれたのです。これは、何を意味しているのでしょうか。人間は、契約を守り切ることができない存在だということを、神さまはご存じでいてくださるということです。そして、今で言うならば、神さまだけが契約書に印鑑を押してくださった、ということです。人間が約束を守れないようなことがあったとしても、神さまの約束は変わらない、ということです。その行きつくところが、十字架です。この神さまの恵みが、私たちにも注がれているのです。
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2019年02月17日

「恐れてはならない」

創世記15:1〜6 島津吉成師
1.恐れてはならない
神さまはアブラハムに、「恐れてはならない」と語りかけられました。このときアブラハムは、何を恐れていたのでしょうか。彼はこの後、自分に後継ぎがいないということを訴えています。神さまはアブラハムに、「あなたを大いなる国民とする」と約束してくださいました。そして、「わたしが示す地に行け」と言われたので、彼は故郷を後にして神さまに従ってきました。それなのに、神さまは自分に子どもを与えてくださらない。神さまを信じて従ってきたのに、神さまは約束をかなえてくださらない。アブラハムはこのとき、そのような不信仰に陥ってしまっていたのではないかと思われます。そのアブラハムに、神さまは「恐れてはならない」と語りかけてくださったのです。
2.星を数えてみなさい
アブラハムは、その神さまの語りかけに対して不満を訴えます。「あなたがわたしに子どもをくださらないので、わたしの家のしもべが後継ぎとなるでしょう」。彼は、自分の心の中にたまっていた思いを、神さまの前に吐き出したのです。これは大事なことです。たまっているものを吐き出すと、新鮮なものが入ってくるからです。
そのアブラハムを、神さまは外に連れ出します。そして、言われたのです。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。「あなたの子孫はあのようになる」。今と違って、夜空には、無数の星が輝いていたことでしょう。アブラハムは、自分の悩みしか見ることができなくなっていました。その目を、神さまは外に向けさせたのです。
3.主を信じた
アブラハムは、星空を見上げて、神さまの創造された世界の大きさに圧倒されたことでしょう。そして、自分の小さな頭で考えられる範囲のことしか信じようとしない自分の不信仰に気がついたのです。アブラハムは主を信じました。神さまにはできないことはないと。
神さまは、これを彼の義と認めてくださいました。義とは、神さまとの「正しい関係」ということです。修行して、立派になったら神さまと正しい関係を持つことができるということではないのです。アブラハムのように、自分の小ささを認めて、神さまを信頼するとき、神さまはその人を喜んでくださいます。ここに、神さまとの正しい関係が結ばれるのです。
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2019年02月10日

「神に祝福された人」

創世記14:1〜24 島津吉成師
1.ロトが連れ去られる
エラムの王ケダラオメルとその同盟軍と、ソドムの王ベラとその同盟軍との間で戦争が起きました。そして、ケダラオメル軍の方が勝利し、戦利品を奪って行きました。その中に、ソドムに住んでいたロトとその財産も含まれていました。
ロトが選んだソドムの町は肥沃な所でしたが、争いに巻き込まれる危険な場所でした。これは、ソドムに住むべきではないということを知らせる、ロトへの神さまからの警告でもあったと思います。
2.信仰による勝利
ロトが連れ去られたという知らせがアブラハムに届きます。すると、彼はすぐに追跡を始めます。ロトはアブラハムにとって厄介な存在でした。しかし、アブラハムは彼を助けるために全力を注ぐのです。ここに、アブラハムの愛の姿を見ることができます。
アブラハムは、318人を連れて追いかけます。そして、夜襲をかけて敵を追い払いました。こうして、ロトを救い出したのです。相手は正規の軍隊です。人数もずっと多かったことでしょう。その相手に、アブラハムはわずかな人数で勝利することができたのです。ここには、神さまの介入があったと見るべきでしょう。アブラハムは、神さまの力を信じて、この戦いに勝利することができたのです。
3.神に祝福された人
戦いに勝利して帰って来たアブラハムを、サレムの王メルキゼデクが祝福します。彼は。アブラハムを神さまが祝福されるようにと祈るとともに、「願わくはあなたの敵をあなたの手に渡された、いと高き神があがめられますように」と祈ります。アブラハムは戦いに勝利し、多くの戦利品を携えて帰ってきました。その彼にメルキゼデクは、この勝利は神さまによるのだと告げたのです。
4.神に栄光を帰する人
そこでアブラハムは、すべての戦利品のうちから10分の1をメルキゼデクに、つまり神さまにささげます。またソドムの王が、「わたしには人をください。財産はあなたが取りなさい」という申し出に対して、「わたしは糸1本でも受けません」と言って断ります。それは、ソドムの王によって自分が富む者となったと言われないためでした。こうしてアブラハムは、神さまに栄光を帰し、神さまに信頼して生きる道を選んだのです。
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2019年02月03日

「勝利の力」

ヨハネ第一5:1〜5 島津吉成師
1.生き方を支えるもの
私が始めてキリスト教に接したのは、高校生のときでした。クラブの先輩から誘われて、バイブルクラスに出席しました。この時、アメリカから来日した80歳を過ぎた男性が話し始めたのです。パンプスさんという方で、大工をしていたそうです。80歳で仕事を辞めた後、これから何をしたら良いだろうかとお祈りしたとき、まだ世界中にはイエスさまを知らない多くの人たちがいる、この人たちにイエスさまを伝えることが私の仕事だと思わされて日本に来た、とのことでした。私はそれを聞いて、彼の生き方を支えるものは何だろうか、私にないものを持っている、それを知りたい、そう思って、バイブルクラスに続いて出席するようになりました。そして、あるとき語られた、「人が全世界をもうけても、自分の命を損したらなんの得になろうか」(マルコ8:36)のみ言葉で、信仰に導かれました。
2.救い主、イエスさま
決して態度には出さなくても、自分の内側には人を憎む心がありました。でもイエスさまは、そのような私たちを救うために来てくださいました。そして、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかってくださったのです。さらにイエスさまは、3日目によみがえられました。こうして、私たちの罪が赦され、神の子とされ、永遠のいのちが与えられる道を開いてくださったのです。
3.勝利の力
このような恵みにあずかった私たちですが、弱さを持った私たちは、時に、神さまの戒めを守ることに、互いに愛することに、後ずさりしたくなる思い、この世の富、世の成功に傾く思いがあることは否めません。
でも、聖書はこのように言っています。「それを自分がするのではない。一緒にいてくださるイエスさまがしてくださるのです」と。同じ神の子同士が愛し合うこと、それは、相手も神さまに愛されているからです。だから、私たちは互いに愛し合うのです。そして、互いに愛し合うとは、お互いのために祈り合うことです。
イエスさまは、弟子たちの足を洗い、病める人、弱い存在の人の側に寄り添って歩んでくださいました。このお方が、私の内にいてくださるのです。このイエスさまを信じる信仰こそが、勝利の力だと聖書は宣言しています(4節)。私たちは、イエスささまを信じる信仰によって勝利する力が与えられているのです。何と感謝なことでしょう。
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