2019年04月28日

「裁きと救い」

創世記19:15〜29 島津吉成師
1.ロト
ソドムの町の状態を探るために、二人の御使いがソドムに来ました。ソドムに住んでいたアブラハムの甥のロトは、彼らを家に招きます。ところが、町の人々は、二人を出せと要求します。「われわれは彼を知るであろう」と言っていますが、これは「性的な関係を持つ」という意味です。ソドムの人々は、そこまで堕落していたのです。「非道の者どもの放縦な行いによってなやまされていた義人ロト」(Uペテロ2:7)と言われていますので、ロトはそのような環境の中で、神さまを信じる者として悩みながら生活していたようです。ところが、彼の取った行動は、二人の客を守るために自分の娘を差し出すというものでした。客を守るという思いは正しかったとしても、彼のやろうとしたことは神さまに喜ばれることではありません。ソドムの人々は、ロトの言葉をはねつけて、ロト自身に危害を加えようとしました。そこで、御使いは人々の目をくらませ、ロトを救い出しました。そして御使いはロトに、「ソドムの町は滅ぼされる。だから身内の者を連れて、逃れるように」と告げます。ソドムの町には、アブラハムがとりなしの祈りで祈った10人の正しい人もいなかったのです。そこで、ロトは娘の婿たちにそのことを伝えます。ところが、彼らにはそれは「戯れごと」に思えたのです。普段の生活の中で、彼らには神さまのことが伝わっていなかったようです。
2.神さまのあわれみ
御使いはロトに早く逃げるように促しますが、ロトはためらっていました。すると御使いは、ロトとロトの妻とふたりの娘の手を取って町の外に連れ出しました。これは神さまのロトに対するあわれみでした。御使いは、「うしろを振り返らず、急いで、山に逃げるように」とロトに告げます。するとロトは、山までは遠いので、近くの町に逃れさせてくれるようにと頼みます。御使いは妥協してその頼みを聞き入れますが、このときのロトからは、必死に逃げなければならないという真剣さが伝わってきません。ロトたちが町に着いたとき、硫黄と火が天から降りかかりソドムとゴモラの町は滅ぼされてしまいました。そのとき、ロトの妻はうしろを振り向いたため、塩の柱になってしまいました。残してきたものに未練があったのでしょう。それが、彼女の滅びとなってしまいました。ロトは神さまを信じていないわけではありませんでしたが、その信仰は中途半端なものでした。ここに、アブラハムとの違いがあります。しかし、アブラハムのとりなしのゆえに、ロトは救われました。神さまは、そのようなロトも憐れんでくださったのです。
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2019年04月21日

「よみがえりの朝」

ルカ24:1〜12 島津吉成師
1.途方にくれる
マグダラのマリヤをはじめとする女性たちが、夜明け前に、香料を携えて、イエスさまが葬られた墓に行きました。イエスさまのおからだに香料を塗って、丁寧に埋葬したいと思ったのです。ところが、墓をふさいでいた石がころがしてあり、中に入ってみると、イエスさまのおからだが見当たりませんでした。彼女たちは、途方にくれてしまいました。敬愛するイエスさまが十字架につけられて殺されてしまったのです。彼女たちの悲しみはどんなに深かったことでしょう。その上、今度はイエスさまのおからだがなくなってしまったのです。彼女たちは、途方にくれてしまいました。
2.よみがえられたのだ
すると、御使いが現れて、彼女たちに言いました。「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」。
 イエスさまは、死を打ち破って、よみがえられたのです。私たちの人生が死で終わるとするならば、それは「途方にくれる」しかありません。人間の力では、どうすることもできないからです。しかしイエスさまは、人間にはどうすることもできない死を打ち破って、よみがえられました。そして、このイエスさまのよみがえりのいのちを私たちにも与えてくださるのです。ですから、死はすべての終わりではなくなりました。天国への入口となったのです。それだけでなく、イエスさまは、よみがえりのいのちを日々、私たちに注いでくださいます。ですから私たちは、「途方にくれる」ような状況にも打ち勝って歩むことができるのです。
3.思い出す
 使徒たちは、彼女たちから、イエスさまがよみがえられたという話を聞いても、それが愚かな話のように思われて、信じませんでした。でも、この女性たちは、御使いから「イエスさまが『必ずよみがえる』と言っておられたことを思い出しなさい」と言われて、そのことを思い出したのです。イエスさまが言われたことを「思い起こす」、これが復活信仰に生きる鍵です。イエスさまはよみがえられました。そして、今朝も、私たちと共にいてくださいます。
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2019年04月14日

「十字架のイエスさま」

ヨハネ19:23〜30 島津吉成師
イエスさまは十字架の上で、7つの言葉を話されました。そのうちの3つが、ここに記されています。
1.「これはあなたの子、これはあなたの母」
イエスさまは、イエスさまの十字架のそばにいた母マリヤとイエスさまの弟子のヨハネに言われました。「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。「ごらんなさい。これはあなたの母です」。イエスさまは、遺していく母マリヤのことを気遣い、弟子のヨハネにマリヤのことを託したのです。ここに、最後の最後まで母マリヤのことを愛しておられるイエスさまの姿を見ることができます。
この言葉には、もう一つの意味があると解釈されてきました。それは、「子」とは「私たち」のこと。「母」とは、「母なる教会」を表しているという解釈です。教会は、母のような存在です。神の子は、教会の交わりの中で養われ、育てられていくのです。イエスさまは、「あなたはわたしの愛する子だ。ここに、あなたの母なる教会がある」と言って、教会を与えてくださったのです。また、母なる教会の一員である私たちに、「ここに、あなたの子がいる」と言って、新しいメンバーを加えてくださるのです。
2.「わたしは、かわく」
神の子であるイエスさまは、人となり、私たちと同じ肉体をお持ちくださいました。そのイエスさまが十字架にかかり、「わたしは、かわく」と言われるほどに苦しんでくださったのです。こうしてイエスさまは、イエスさまご自身が苦しみの中を通られることによって、苦しむ者の苦しみを思いやり、本当の意味で苦しむ者を助けることのできる救い主となってくださったのです。(へブル2:18)
3.「すべてが終わった」
イエスさまは、「すべてが終わった」と言われて、息をひきとられました。別の翻訳の聖書では、ここを「完了した」「成し遂げられた」と訳されています。イエスさまは、すべての人の罪を代わりに負って死んでくださることによって、すべての人が救われる救いの御業を「成し遂げることができた」「完了した」と言われたのです。ですから、この言葉は敗北の言葉ではなく、勝利の宣言です。こうして、イエスさまは私たちが救われるためのすべてのことを成し遂げ、完了してくださったのです。
私たちは、このイエスさまを私の救い主と信じるとき、すべての罪が赦され、救われるのです。
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2019年04月07日

「心からのささげもの」

ヨハネ12:1〜11 島津吉成師

今年のイースターは4月21日になりますので、来週14日から受難週に入ります。そこで、今朝からイースターまでの間、創世記から離れて、福音書からイエスさまの十字架から復活へと至る道をたどります。今朝は、ベタニヤのマリヤがイエスさまに香油を注いだ出来事を通して、イエスさまが喜んでくださるささげものについて学びます。
1.感謝のささげもの
ベタニヤという村に、マルタとマリヤ、そしてラザロという3人の兄弟姉妹がいました。イエスさまは、彼らととても親しい交わりを持っていたようです。ところが、ラザロが病気で死んでしまったのです。ラザロが死んで4日目に、イエスさまが来られました。ラザロはすでに墓に葬られていましたが、イエスさまはラザロをよみがえらせてくださいました。マルタとマリヤの喜びは、どんなに大きかったことでしょう。彼女たちは、イエスさまを招いて、感謝会をしました。そのとき、マリヤが「高価で純粋なナルドの香油1斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた」のです。すると、香油の香りが家いっぱいに広がりました。マリヤは、イエスさまに対する心からの感謝を、このようにして表したのです。
2.高価で純粋なささげもの
この香油は、300デナリの価値があると言われています。1デナリが1日の賃金と言われていますので、およそ1年分の給料に値する高価なささげものでした。それは、彼女にとって精一杯のささげものでした。
また、これは純粋な香油でした。ここに、彼女の心が表されているように思います。気を付けないと、私たちがささげる奉仕の中に、「ほめられたい」というような打算が入り込んでしまうことがあります。でも彼女は、イエスさまに対する、純粋な、混じりけのない、感謝と愛の心をささげたのです。
3.イエスさまの葬りの備えとなったささげもの
彼女がイエスさまに香油を注いだことを、イエスさまは「わたしの葬りの日のために」してくれたのだ、と言って喜ばれました。死者を葬るときに、香油を塗るのが当時の習慣でした。イエスさまは、まもなく十字架につけられ、殺され、墓に葬られます。マリヤは、その準備をしてくれたのだ、と言われたのです。マリヤは、そのようなことは全く考えていなかったと思います。しかし、マリヤのささげものは、イエスさまの葬りの備えのために、ピッタリのタイミングで用いられたのです。私たちがさせていただく奉仕の業を、主は私たちの思いを超えて豊かに用いてくださるのです。
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