2019年07月28日

「愛の労苦」

テサロニケ第一1:2〜3 島津吉成師

テサロニケ教会は誕生して間もない教会でしたが、迫害の中にあるにもかかわらず、マケドニヤとアカヤ地方で模範的な教会となりました。それは、信仰と希望と愛という3つの柱がしっかりと立っている教会だったからです。先週は「信仰の働き」ということを学びましたので、今朝は「愛の労苦」ということを学びましょう。
1.愛とは
愛の賛歌といわれる第一コリント13章では、真っ先に「愛は寛容であり、愛は情け深い」と言われています。
@「寛容」と訳されている「マクロスメオー」は、「マクロ」(大きい、時間や距離が長い)と、「スメオー」(怒り)という二つの言葉からできています。怒りを爆発させるのに時間がかかる、怒りから長い距離を置く、というのがもともとの意味で、そこから「広い心、寛容、忍耐強い心」という意味になりました。愛は広い心を持って人を受け入れ、包んでいくのです。
A愛は「忍耐強い」のです。すぐに結果が出なくても、支え続け、待ち続けます。
B愛は「情け深い(親切)」。誰かが助けを必要としているときに、進んで助けます。「愛とは特別な、英雄的なことをすることではなく、あたり前のことをやさしさをもってすることである。」(「共同体‐ゆるしと祭りの場」ジャン・バニエ著)と言われています。
2.愛の労苦に生きたテサロニケ教会
テサロニケ教会には、ユダヤ人もいればギリシャ人もいました。また貴婦人もいれば一般の人たちもいました。このような人たちが、互いに愛し合い、寛容、忍耐、親切に生きる教会をつくっていったのです。
さらに、テサロニケ教会は、極度の貧しさにもかかわらず、喜びをもって、惜しみなく、他の教会のために献金をし、パウロの伝道を助けました(Uコリント8:1〜2)。このようにして、彼らは愛の労苦に生きたのです。
3.愛の労苦に生きるために
 @主イエスが、どんなに私のことを愛してくださっているかを、ますます深く受け止め続けること。主イエスの愛が、私たちを変えてくださいます。
 A一人で生きてきたのではなく、どれだけ多くの人たちに助けられてきたのかということを覚えること。
 B神さまに祈ること。自分の力で愛に生きることはできません。でも、神さまは私たちにその力を与えてくださいます(ピリピ4:19)。
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2019年07月21日

「信仰の働き」

テサロニケ第一1:2〜3 島津吉成師

パウロはテサロニケ教会のために祈るとき、「いつも神に感謝」して祈っていると書いています。それは、テサロニケ教会の人たちが、信仰の働きと、愛の労苦と、望みの忍耐に生きているからでした。ここに、信仰、希望、愛という3つの柱が出てきます。柱がしっかりしていたら、その建物は大丈夫です。私たちの信仰生活にとって、この3つの柱がしっかりと立っているということが大切です。
今朝は、まず「信仰の働き」ということを学びましょう。
1.信仰の働きとは
私たちが救われるのは、私たちが良い行いをしたからということではなく、ただ、主イエス・キリストを信じたからです。決して、良い行い(働き)をしたからではありません。しかし、神さまの恵みによって救われた者は、神さまを信じる者としての生き方をするようになっていきます。それが「信仰の働き」です。ダビデがゴリアテと戦ったとき、「これは主の戦いだ」という信仰に立って戦い、勝利することができました。ダビデは、全能の神さまを信じるという信仰を働かせて戦ったのです。
2.信仰の薄い者たちよ
イエスさまは、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと、思いわずらっている人々を見て、「ああ、信仰の薄い者たちよ」(マタイ6:30)と言って嘆かれました。当時の人々にとって、食べる物、飲む物、着る物というのは、切実な問題でした。ですから、思いわずらうのです。私たちにとっても、それぞれ、切実な問題を抱えているということがあります。だからこそ、思いわずらうわけです。イエスさまは、そこでこそ、信仰を働かせなさい、と言われるのです。
3.信仰を働かせるために
では、信仰を働かせるために、どんなことが大事なのでしょうか。
@空の鳥を養い、野の花を美しく装ってくださる天の父なる神さまが、私たちのことを養っていてくださるという信仰に立ちましょう。
A神の国と神の義とを求めましょう。神さまのみ旨に反していることをしていたら、信仰を働かせることはできません。神さまのみ旨と心を一つにしようとしている人に、神さまは力をあらわしてくださいます。
B明日を心配するのではなく、今日、一日を大切にして、そこに信仰を働かせて歩んで行きましょう。神さまの力に支えられて、「心を強くし、落ち着いて、朗らかに」、一日一日を歩んで行きましょう。
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2019年07月14日

「恵みと平安」

テサロニケ第一1:1 島津吉成師

1.テサロニケ教会
今朝の礼拝から、テサロニケ人への第一の手紙を読んで、そこから神さまの語りかけを聞きつつ礼拝をささげていきたいと思います。
パウロは、トロアスで「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」(使徒16:9)との幻を見て、マケドニヤに渡ります。そしてまず、ピリピで伝道しました。その次に行ったのがテサロニケでした。ここでの伝道の様子については、使徒行伝17章に書かれています。救われる人も起きたのですが、激しい迫害も起きました。そのためパウロたちはテサロニケにいることができなくなり、次の町に行くことになります。でも、テサロニケ教会のことが心配でしたので、アテネからテモテをテサロニケに遣わします(Tテサロニケ2:2)。パウロは伝道旅行を進めコリントにいたとき(使徒18:5)、テモテが戻ってきて、テサロニケ教会の人たちが迫害に負けず、信仰と愛に励んでいるとの報告を受けます(Tテサロニケ3:6)。パウロはその報告を聞いて喜び、またテサロニケ教会が抱えている課題もあることを聞いたので、それについての回答も書き送るために、この手紙が書かれました。
2.父なる神とキリストの中にある教会
パウロは、「父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ」と呼び掛けています。「とにある」とは、直訳すると「中にある」という意味です。教会は、同好会ではありません。父なる神が主イエスのもとに私たちを呼び集めてくださり、主イエスの十字架と復活によって私たちの罪を赦し、神の子としてくださり、神さまを「アバ父よ」と呼ぶことができるようにしてくださいました。こうして、父なる神と主イエスが握りしめていてくださる、それが教会です。だから、迫害の中でもテサロニケ教会は負けることがなかったのです。
3.恵みと平安
恵みとは、受けるに値しない者に与えられる神さまからのプレゼントです。この恵みが見えなくなると、不平や不満がわいてきます。受けるに値しない者をあえて選び、握りしめていてくださるという恵みを、はっきりと自覚していくということが大事なことです。
十字架の恵みによって私たちは罪を赦され、平安が与えられます。父なる神さまをまっすぐに見ることができるようにされるのです。赦された者は、赦す者とされていきます。こうして平和がつくられていくのです。

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2019年07月07日

「信仰の継承」

創世記25:1〜11 島津吉成師

1.アブラハムの再婚
アブラハムはサラの亡き後、ケトラをめとりました。私たちの感覚からすると、サラのことをずっと思って生涯を終える方が美しいように思いますが、晩年の生活を支えてくれる人が必要だったのかもしれません。結果として、ケトラとの間に子どもたちが生まれ、「あなたは多くの国民の父となる」(17:4)という神さまの約束が、このようにして実現していったのでした。
2.アブラハムの生涯
8節を共同訳聖書はこのように訳しています。「アブラハムは良き晩年を迎え、老いた後、生涯を全うして息絶え、死んで先祖の列に加えられた」。
「人は生きてきたように死ぬ」と言われます。アブラハムのこのような生涯の終わり方は、彼がこれまでどのように生きてきたかの表われでした。
@罪の赦しによる平安に生きる
「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」(15:6)。アブラハムは、神さまの恵みを信じました。そのとき、神さまは彼を正しい者と認めてくださったのです。イエス・キリストの十字架が私の罪の身代わりだったということを信じるとき、神さまは私たちの罪を赦し、義と認めてくださいます。ここから、神さまの前に平安な心で生きる歩みが始まります。
A生涯を全うする
アブラハムは「生涯を全うし」た、と書かれています。人生の長い短いが問題なのではなく、大切なことは、神さまが与えてくださる務めを全うすることです。パウロはテモテに、「自分の務めを全うしなさい」(Uテモテ4:5)と勧めています。生かされているということは、使命が与えられているということです。与えられた務めを全うする、そのような生涯を歩み抜きたいものです。
B天の希望に生きる
ヘブル11章には、アブラハムなど信仰に生きた人たちのことを数え上げて、「彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった」(16)と記しています。アブラハムは、天の希望に生きたのです。
3.信仰の継承
アブラハムが死んだとき、イサクとイシマエルが彼を葬りました。イシマエルも、神さまの恵みの中にあるのです。神さまは、イサクを祝福されました。アブラハムに与えられた祝福が、イサクに受け継がれたのです。
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