2019年06月23日

「旅人、寄留者として生きる」

創世記23:1〜9 島津吉成師

1.サラの死
アブラハムの妻、サラが亡くなりました。長い年月、苦労を共にしてきた妻サラが亡くなったのです。アブラハムは、悲しみ泣きました。アブラハムにとって、妻サラを失うということがどんなに辛いことだったかということが、この短い言葉の中に表されています。キリスト者は、復活の希望に生きています。しかし、地上で再び愛する者の声を聞くことができないということは、やはり、大きな悲しみです。悲しいときに、それを抑えるのではなく、泣き、悲しむということは大事なことです。ですから、誰かが悲しんでいるときに、安易な励ましを語ることよりも、「泣く者と共に泣く」ということが大切です。
2.墓を求める
悲しみ泣いたアブラハムは、そこから立ち上がります。悲しみを十分に出すとき、不思議と立ち上がる力が与えられるのです。
アブラハムは、サラを葬る墓地を与えてほしいと、その地の人々に願い出ます。そのときアブラハムは、自分のことを「旅の者で寄留者ですが」と言っています。神さまを信じて生きる者にとって、本当の故郷は天の御国です。天の御国に国籍を持つ者として、この地上では、旅人であり、寄留者なのです。つまり、この地上の価値観に埋没しないで、この地上にあって、天の御国の市民として生きるのです。それが、「地の塩、世の光」としての生き方です。
地元の人は、「自分たちの墓地の中に葬りなさい」と提案します。これは、この地の人々の中に同化してしてしまうということにつながってしまいます。それでアブラハムは、エフロンという人が持っている畑の一部を買わせてほしい、と願い出ます。そして、法外な値段を要求されるのですが、きちんとした手続きをして、彼はその畑を買い取ります。ここに、天の御国の市民、この地上では寄留者として生きる者の生き方が示されています。犠牲を払ってでも、礼を尽くし、人々との良い関係を築き、責任を果たすことによって、証しを立てていくということです。
3.墓の意味
 @故人を偲び、感謝を新たにする場所。
 A復活の信仰を新たにする場所。イエスさまは、墓に葬られましたが、死を打ち破ってよみがえられました。この復活の恵みを私たちにも与えてくださるのです。私たちは、墓の前に立ち、この信仰を新たにするのです。
posted by グロリアスチャペル at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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